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京都・山陰海岸ジオパーク 絶景スポット & 観光スポット

山陰海岸ジオパーク 登録ガイド団体 NPO法人 まちづくりサポートセンター 経ヶ岬・丹後松島・屏風岩・大成古墳群・立岩・琴引浜・丹後砂丘・久美浜湾

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カテゴリ: 丹後町

経ヶ岬

経ヶ岬 0613-736


経ヶ岬は丹後半島の先端に突き出した近畿最北端の岬です。
海岸部には、柱状の岩石が縦に何本も並んでいます。
これが経巻を立てたように見えることから「経ケ岬」の名前がつけられたといわれています。
柱状の岩石は、約400万年前の火山の噴火で流れ出た溶岩で、冷え固まる時に縦の割れ目模様(柱状節理)ができました。
(京丹後市丹後町袖志)

穴文殊 0715

「穴文殊」は高さ約10mの海食洞です。海食洞は、波の浸食でできた洞窟のことで丹後半島の沿岸を中心に数多くみられますが、穴文殊の海食洞は規模が大きく有数のものです。その真上の丘に建つ萬福寺境外仏堂は清涼山九品寺(せいりょうざんくほんじ)といい、かって洞窟の奥に祀られていた文殊菩薩が本尊です。

経ヶ岬灯台(京丹後市丹後町袖志 )
 紺碧(こんぺき)の日本海に映える白亜の灯台。
 全国で5基しかない第1等レンズを使用した灯台の一つで、
 近代化産業遺産群にも認定されている。
 灯台までは遊歩道を徒歩約20分。
経ヶ岬灯台 1201__pym_120

近畿最北の灯台で、全国に6基しかない第一級灯台で、ここから観る景色は「京都百景」に選ばれた景勝地です。
 1898年に初点灯した灯台で、日本国内では他に犬吠埼(千葉県)、日御碕(島根県)、角島(山口県)、室戸岬(高知県)、沖ノ島(福岡県)の各灯台でしか用いられていないそうです。
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経ヶ岬灯台 0417

経ヶ岬灯台31103


経ヶ岬灯台(丹後町袖志)

経ケ岬は丹後半島の先端に突き出した近畿最北端の岬です。
この岬の海岸には、規則的な縦の割れ目をもち、何本もの柱が積み重なった様に見える岩石が露出しています。
この割れ目は、噴出した熱い溶岩が冷え固まるときにできた柱状節理と呼ばれるものです。
この様子が、 いくつもの経巻を立ち並べたように見えることから、「経ケ岬」の名前がついたと言われています。
経ケ岬には海抜140mの位置に日本でも数少ない第1等レンズの灯台があり、ここから見る景色は「京都百景」に選ばれています。



経ヶ岬最先端
 丹後半島の先端につき出した近畿地方北端の岬。
 岬の周囲には、安山岩からなる柱状節理の発達する海食崖が見られる。
 この岩石は中新世後期の経ヶ岬角閃石安山岩で、急斜面を形成している。
 海岸には波食台が発達し、節理に支配されたベンチも見られる。
 かつては、盛んに採石されていた。 (経ヶ岬安山岩の柱状節理)
 この様子が、いくつもの経巻を立ち並べたように見えることから、
 「経ケ岬」の名前がついたと言われています。
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立岩

立岩 0603_pym_004

 後ヶ浜東端の竹野川河口に位置する周囲1km、高さ約20mの巨岩です。
地下から上昇してきたマグマが固まったもので、その後の侵食に削り取られて
この岩が残されました。垂直に延びた柱状節理が美しいことで有名です。
その巨大さからも地域のシンボルとして親しまれています。
(京丹後市丹後町間人)

屏風岩

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  屏風岩 05月11日


屏風岩 0503_pym_182


海面から突然屏風のようにそびえる屏風宕は、柔らかい凝灰宕の地層中に
マグマが入り
込み、冷え固まった安山岩が、その後、周りの地層が侵食により
削り取られ硬い安山岩の
岩脈が取り残されて現在の姿となりました。
屏風岩の沖合いにも数個の島がありますが、岩脈は板状の形をしているので、
これらは全て一直線上に並んでいます。

(京丹後市丹後町筆石)

大成古墳群のハマダイコン
 京都府京丹後市丹後町竹野

大成古墳群
 丹後町竹野にある大成古墳群は、竹野川と海とが接する海岸の東側の切り立った崖の上に築かれた古墳群である。日本海を見下ろす台地の上に、横穴式石室を内部主体とする古墳が全部で13基見つかっている。

立岩側から上りました。
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裏を振り返って見た、立岩
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大成へ上る階段
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遠くに、犬ヶ岬が見えます
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 昭和42年(1967)に、このうちの7号墳、8号墳、9号墳の3基について発掘調査が行われた。 いずれも古墳時代後期に営まれた円墳である。
 だが、以下に示すように横穴式石室の構造がそれぞれちがっている。 これらの石室内から、須恵器・土師器などの土器、刀剣・鉄鏃などの鉄器、碧玉製管玉・瑪瑙製勾玉・ガラス小玉・金環(耳飾り)などの装身具が発見された。こうした出土遺物から、7号墳が6世紀末、8号墳が7世紀初頭、9号墳がそれよりやや下がる時期に築造されたと見られている。
古墳名 墳形  石室の構造  石室の規模
7号墳 円墳 片袖式横穴石室 全長9m、玄室長4.4x幅1.9x高1.9m、羨道幅1.3m
8号墳 円墳 両袖式横穴石室 全長8.7m、玄室長4.5x幅2.5x高2.7m、羨道幅1.4m
9号墳 円墳 無袖式横穴石室 全長10m、玄室長5.9x幅1.6x高1.8m、羨道幅?m

間人皇后母子像

厩戸王(うまやどのおう)の御母である穴穂部間人(あなほべのはしうど)皇后は
 蘇我氏と物部氏の争乱を避け、この地に身を寄せられたと伝わります。
 大和の国へ帰られるにあたり皇后から御名を賜りましたが、
 口にするのは畏れ多いと考えた村人たちは御退座にちなみ「たいざ」と読むことにしました。
 この伝説をもとにした母子像が日本海を眺めるように佇んでいます。


間人皇后像0506

城島

城島 0601_pym_061

 間人の西にある周囲4kmほどの小さな島で、天正年間には、
荒川武蔵守がこの島に居館を
構えたといわれています。
現在は公園となっており、島を一周する遊歩道が整備されてい
ます。
この島を作る岩石は約1500万年前の火山活動によりもたらされた凝灰岩で、
島の北
側や東側には波食棚が広がっています。
(京丹後市丹後町間人)

大成古墳群

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大成台地上にある古墳群で、市の史跡に指定されています。
18基の古墳の内、
全長87mある八号墳は石室の規模が最も大きく、
土師器や須恵器、勾玉、管玉などの副葬品が多数出土した。
石室の石材にはこの場所の岩盤で安山岩の自然石を巧みに配置しています。
(京丹後市丹後町竹野)

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