味土野(みどの)にある細川ガラシャ夫人の隠棲地『女城跡』は、
別名御殿屋敷ともいわれています。
明智光秀(あけちみつひで)が本能寺において織田信長を倒したことで、
細川忠興(ほそかわただおき)の妻玉子(のちのガラシャ)は逆臣の娘という立場になりました。
忠興は妻に咎(とが)の及ぶことを恐れ、山深い味土野の地に隠棲させました。
また、 細川家が公式に、 「丹波之内中三戸野」 と認めたのは、さらに100年たった1788年。 匿ったものも同罪。 味土野衆に累が及ぶのを恐れてのことかもしれません。
また、その口伝には、 警護の武士の中に、若い鉄砲の名手がいたことを伝える話のあることを誰が知るでしょう。